天明8年(1788)七月刈谷町庄屋が刈谷藩に報告した「祭礼由緒」によると、市原稲荷神社の祭りは宝永5年(1708)から始まり、一年おきに行われるようになったとあります。これは稲垣氏の時代であり、貞享4年(1687)から祭礼に華車・警護・本町獅子がでるようになったという記録があり、この年本町は華車を買い求めています。祭日は4月1・2日でしたから、四月祭りと呼んでいます。 祭日には神興の渡御があります。神興は本町の獅子を先頭に秋葉神社まで巡行されて休憩、市原稲荷神社に御帰還になります。お旅行列とも呼ばれます。獅子は慶長年間に刈谷城主水野勝成が寄進したものと伝えられています。この年から、本多氏の家臣である多門伝十郎信秀作の猿田彦の面が登場するようになりました。 正徳元年(1711)4月の本多忠良の時代まで、祭礼は本町が神事を行っていましたが、正徳2年(1712)末町へ獅子を譲り、以後末町が宮元となりました。延享4年(1747)土井氏が西尾から刈谷に替わった年には、城下町の町数は十町となって繁盛していて、祭りは盛大に行われました。