市原稲荷神社<縁結び・開運厄除け・商売繁盛>
お問合せ 更新履歴 お気に入りに追加 HOME
市原稲荷神社のご案内
創 建
ご祭神
歴代領主の崇敬
伝統の祭り
年間行事
歴史の跡
御守り
おみくじ
境内案内
当社へのアクセス
神道の知識
フォトアルバム
ご祈祷案内
日本神話
刈谷市観光案内
掲示板
リンク
神社からのお知らせ
市原稲荷神社のご案内

歴史の跡
市原稲荷神社の境内には、数々の歴史の跡が残されています。

1 大岡庄右衛門奉納の灯籠
境内には、氏子の奉納した灯籠が数多く見られるが、一番古いのがこの大岡庄右衛門奉納の灯籠で、元禄八乙亥(1695)の銘がある。庄右衛門は当時の城下町商人である。

2 湯立て神事の窯
拝殿左、楠の木を隔ててこの窯が残されている。古文書に、毎年5月「市原神前において御湯御座候」の記事がある。湯立ての神事は清めはらう神事で、無病息災を祈る行事。この窯は文化2年(1805)土井利謙氏の寄進によるものと伝える。

3 中島秋挙句碑
西の鳥居前に、刈谷の俳人中島秋挙の句碑がある。はじめ南向きに立てられていたが、現在は東向きに移されている。秋挙が文政9年(1826)7月、54歳で亡くなったあと、10年あまりのち門人や友人たちが建てたもので、
  夜わたしの今に声あり華さかり
とあり、碑の裏側に由来と門人の名が記されている。

4 本多氏家臣奉納の石灯籠
拝殿の西側の椎の木の下に「願主河目氏清大」と刻んだ石灯籠が残されていて、宝永7年(1710)の銘がある。この年は本多氏が越後国村上から刈谷に転封した年で、河目氏は刈谷城受け取りの役に当たった人物である。

5 土井淡路守利以寄進の石灯籠
丹生川社の前に一対の石灯籠があり、「文化十二乙亥、土井淡路利以」とある。利以は土井氏第五代の藩主で、二代目の藩主利徳の子にあたる。

6 城下町商人太田平右衛門奉納の大灯籠
拝殿前の東側にあり、天保15年(1844)の年号がある。

神社前の「英霊奉祀刈谷神社」の碑には、明治神宮宮司の題簽がある。碑に
    『あらし吹く世にも動くな人ごころ
      いはほに根ざす松のごとくに』
と高須金三郎書による明治天皇御製が刻まれている。慌ただしい今の時世にも通じる御製である。


8 明治の神池
刈谷神社前にこの「明治の神池」がある。「明治維新百年祭の記念に、明治の聖代を偲ぶため、明治神宮より下賜の知立神社花菖蒲大株を頂き、神池を造る」と記された碑がある。

このほか境内には、境内整備記念の氏子連中の碑がいくつかあり、人びとの神社との結び付きの強いことを表しています。 お参りのついでに境内を巡れば、新しい発見が見られるでしょう。
千三百五十年祭を迎えて

この度の改築に当たって、社殿が新たに朱に塗り替えられました。この朱については、古くは中国の陰陽五行説に由来しています。陰陽五行説など、全く縁がないように思われがちですが、自分の干支も曜日も陰陽五行説に基づいており、私たちの生活習慣に密着しています。
朱色は、魔力に対抗する色ともされていて、古代の宮殿や神社仏閣にも多く用いられています。伏見稲荷大社では、稲荷大明神の土地の豊かさを表す色とされています。朱の原材料は、水銀の丹です。昔から防腐剤として使用されてきましたが、水銀が利用できなくなってからは、本来の朱の色が出せなくなり、赤で塗られるようになりました。日本人は昔から、太陽や燃え上がる炎から赤を連想して、神聖な色としてきました。身の回りを見ても、目出度いときに食べる赤飯、還暦に着る赤い着物、ダルマ、赤色の幕、水引、赤く塗られた宮殿、お札、それに日の丸にいたるまで赤が使われています。印鑑に使われる朱肉も目出度い色、魔よけの色の意味で使われ始めて今も残っているのです。美しく塗られた朱の社殿を、改めて仰いでみたいと思います。
    ▲PageTop  
(c)shrine Ichibara