このほか境内には、境内整備記念の氏子連中の碑がいくつかあり、人びとの神社との結び付きの強いことを表しています。
お参りのついでに境内を巡れば、新しい発見が見られるでしょう。
大岡庄右衛門奉納の灯籠境内には氏子の奉納した灯籠が数多く見られますが、一番古いのがこの大岡庄右衛門奉納の灯籠で、元禄八乙亥(1695)の銘があります。庄右衛門は当時の城下町商人です。 |
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湯立て神事の窯拝殿左、椎の木を隔ててこの窯が残されています。古文書に、毎年5月「市原神前において御湯御座候」の記事があります。湯立ての神事は清めはらう神事で、無病息災を祈る行事。この窯は文化2年(1805)土井利謙氏の寄進によるものと伝えられています。 |
中島秋挙句碑西の鳥居前に、刈谷の俳人中島秋挙の句碑があります。はじめ南向きに立てられていましたが、現在は東向きに移されています。秋挙が文政9年(1826)7月、54歳で亡くなったあと10年あまりのち門人や友人たちが建てたものです。 〜夜わたしの今に声あり華さかり〜 とあり、碑の裏側に由来と門人の名が記されています。 |
本多氏家臣奉納の石灯籠拝殿の西側の椎の木の下に「願主河目氏清大」と刻んだ石灯籠が残されていて、宝永7年(1710)の銘があります。この年は本多氏が越後国村上から刈谷に転封した年で、河目氏は刈谷城受け取りの役に当たった人物です。 |
土井淡路守利以寄進の石灯籠丹生川社の前に一対の石灯籠があり、「文化十二乙亥、土井淡路利以」とあります。利以は土井氏第五代の藩主で、二代目の藩主利徳の子にあたります。 |
城下町商人太田平右衛門奉納の大灯籠拝殿前の東側にあり、天保15年(1844)の年号があります。 |
刈谷神社神社前の「英霊奉祀刈谷神社」の碑には、明治神宮宮司の題簽があります。 碑に と高須金三郎書による明治天皇御製が刻まれています。慌ただしい今の時世にも通じる御製です。 |
明治の神池刈谷神社前にこの「明治の神池」があります。「明治維新百年祭の記念に、明治の聖代を偲ぶため、明治神宮より下賜の知立神社花菖蒲大株を頂き、神池を造る」と記された碑があります。 |